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2008年03月18日

森鴎外のドイツ留学

あの時代のドイツ留学ってどんな感じだったんだろうな。


ドイツ留学と初期の文筆活動
1874年(明治7年)、第一大学区医学校予科(現在の東京大学医学部)に実年齢より2歳多く偽り入学し、1881年(明治14年)に19歳8か月で卒業(今後も破られないであろう最年少卒業記録)。その後、陸軍軍医副になり、東京陸軍病院に勤務。1884年(明治17年)、ドイツ留学を命じられ、10月にベルリン入り。留学中は、ペッテンコーフェル等に就いて医学研究をするかたわら、西洋の哲学や文学などに触れて多大な影響を受けている。また、北里柴三郎とともにコッホのもとを訪れたり、ナウマンを批判したりしている。1888年(明治21年)に帰国し、陸軍軍医学校・大学校教官に任じられた。なお帰国直後、ドイツ人女性エリーゼ・ヴィーゲルトが来日し、滞在一月ほどで離日する出来事があり、このことが小説『舞姫』の素材の一つになっている。後年、エリーゼと文通するなど、その人を生涯忘れることができなかったとされる。

1889年(明治22年)、新声社訳として『於母影』を発表し、弟の三木竹二などと文芸雑誌『しがらみ草紙』を創刊した。海外文学の翻訳も多く始め(『即興詩人』『ファウスト』などが有名)[3]、以後、熱心に啓蒙的文筆活動をすることになる。当時、情報の乏しい欧州ドイツを舞台にした『舞姫』『うたかたの記』『文づかひ』を相次いで発表。とりわけ、日本人と外国人それも白人とが恋愛関係になる『舞姫』は、読者を驚かせたとされる。ちなみに、そのドイツ三部作をめぐって石橋忍月と論争を、また『しがらみ草子』上で坪内逍遥の記実主義を批判して没理想論争を繰り広げている。1894年(明治27年)から翌年まで日清戦争に軍医部長として出征。帰国後、『しがらみ草子』の後を受けて幸田露伴、斎藤緑雨とともに『めさまし草』を創刊し、合評『三人冗語』を載せ、当時の評壇の先頭に立った(1902年廃刊)。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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